舞台監督にインタビュー

金一浩司の創り方

序文

「今、ジョン・レノンのDNAから、もう一人のジョン・レノンを産み出したとしても、

あの偉大なジョン・レノンには決してならない。」

と、ある学者が言っていた。人の性格を決めるのは、DNAではなく環境だから。

ジョン・レノンをもう一人創るには、産み出されたその瞬間から、

オリジナル・ジョン・レノン全く同じ環境下に置き、同じ体験をさせなければならない。

それは無理。あり得ない。 しかし、こう考えればどうだろうか?

環境さえ整えれば、DNAは関係なく似たような人物を創れる…。あり得ない話ではない気がする。

丁度数年前に本人が書き上げた「金一小史」なるものがある。これを検証してみよう。

これを検証すれば、ひょっとすると、「金一2号」が創れるかも?

ジョン・レノンの環境は再現出来ない。だって外国人だもん。 ジョン・レノンは諦める。

成功すれば、ノーベル賞も夢ではない。何事もまずはやってみるべきだ。

何より狭いアパートの一室で、誰にも迷惑かけずにひたすら妄想するだけである。

結果がどうなろうと、世界は何も変わらない。  ひとまずは。

てな事で、多分世界で一番無駄になりそうな検証を始めて見たいと思う。

自分の子供や甥っ子姪っ子などを、「金一2号」にしてみたいと思う方はご一読。

最初に断っておくが、以前か金一本人が認めた「金一小史」をベースに話は進めるが、

私の判断で文章の割愛・入れ替え、何でもありである。 「金一小史」は「金一小史」なのである。
(基本的に太字の部分は抜粋部分とする)

私がこれから書くのは「金一浩司の創り方」である。別物なのだ。そこの所を、まずはご了承頂きたい。

「金一小史」を原文のまま読みたい方は、このHPの担当者にその旨申し出て欲しい。めっちゃ長いヤツが届く。

長期休暇には最適である。人生に迷っている方・自ら研究したい方・暇つぶしに困ってる方などにオススメです。

生い立ち

子供に取って最初に接する人間、それが両親。

「金一2号」の環境を整えるためには、まず両親の話を追ってみよう。

まずは母親の事を抜粋してみよう。

【母は淡路島の出で貧しかった為、小学校にも行けず徳島に売られ芸者になったようです。

(中略)芸事(げいごと)と人あしらいに長けた人でした。

(母が)40過ぎてからの子供でもあり、猫可愛がりの過ぎた母でありました。

授業参観の時には濃い化粧と芸者特有の着物でくるため、それが嫌で学校から家庭への

連絡事項は何度も破り捨てていました。(中略)

母は私に対して芸事を習わせたかったらしく、三味線や唄、踊りを教えようとしていたようです。

成人になるまでそんな母が嫌いで、家にいる事の少ない生活をしていました。】

母親に限らず、親という者は子供の視点とは少しずれた視点で物事を見ている。

大人と子供の違いかも知れないが、授業参観などの行事の時に、親はかなりの確率で、

子供が「これだけはカンベン!」と思っている事をやらかしてくれる。

金一少年の気持ちもよく分かるが、母親に悪気はない。むしろ、子供のために精一杯着飾ってくれたのである。

親の心、子知らず。 これは真なり。  だが、子の心、親知らず。もまた真なり。

父は高松で電車の運転手をしていたらしく、手先は器用で料理も上手く、昔の写真を見る限り、

なかなかのハンサムだったようです。

父は根っからの遊び人で、母が働いている間も何処かへいつも遊びに行っていたようです。】

ハンサム、だそうです。ハンサムで根っからの遊び人とくれば、こうなります。

【その父は和歌山に愛人ができ、戦時中でもあり、子供の私はよくそこへ連れて行かれました。】

順当な結果となりました。

とは言え何と言うか、個人的には昭和のかほりがプンプンするこの手のシチュエーション、好き。

ましてこの愛人さんが・・・

【彼女は優れた人で、ヤンチャな私をいろんな意味で矯正してくれたように思います。

電車に乗る時切符の御釣りを「結構です」と言うような子供の取り扱いは大変だったでしょう。】

サイコーです!凛とした2人の女性の姿が浮かんできますわな!大好物!ま、まぁ、個人的な感想は置いといて。

上記の事から分かるのは、「金一2号」を創り上げる際の最初の心構えとして、

周囲の大人はキリッとした筋の通った人物である事が要求される。 特に女性陣。あっぱれなお二方である。

なのに、電車の切符のおつりを「結構です」とか言う子供。  本当に可愛げがない。

今に例えて言うなら、コンビニのバイトのお姉ちゃんに「おつりは結構です。」と言うようなものだろう。

わぁ、やな感じ。  だけど「金一2号」を創るためには、こういう事をさらっと言える子供にする必要がある。

心が折れましたか? まだまだこんなものは序の口です。 人一人創り上げるのですから、大変ですよ。

さぁ、先へ行きましょう。

両親の検証が済んだら、いよいよ本人である。 子供の頃の軌跡を辿ってみよう。

【戸籍上は昭和13年(1938年)1月20日生まれとなっていますが、高校時代、アルバイトをするために

戸籍謄本を取ってみるまでは、昭和14年生まれとして全てのものに書いていました。

両親に確認した所、父は昭和14年生まれだと言い、母は昭和15年だと主張し、

その根拠を聞かされたのですがそれぞれに妥当性があり、戦争で戸籍が焼けてしまった事もあり、

どうもはっきりしませんでした。】

色々疑問点はあるだろうが、まず戸籍の間違いの件である。今でこそ考えにくい話ではあるが以前は少なからずあったようだ。

何故なら、我が父も誕生日はずっと6月だと信じていたのに、戸籍上は9月であった。

6と9。冗談みたいな話だが実話である。

「金一2号」を創るには、まず何とかして戸籍に間違いを記載させる事から始めるべきであろう。

現代がいかにコンピューターの時代で、そんな間違いが起こりにくいとしても、だ。

どんな技術も所詮扱うのは人間である、間違いはある。 しかし、ご両親。 双方ともに間違ってるじゃん・・・。

さて、次はいよいよ生活環境である。「人格は環境で創られる」から、これは重要。

【生まれた場所は、大阪市生野区今里新地。遊郭(ゆうかく)のお茶屋の長男として生まれました。

当時生野区は、多分日本で一番朝鮮人人口の多い所だった事もあり、友達が多かった割には、

名前が金一であったため、朝鮮の友達からは日本人と思われ、日本人からは朝鮮人ではないかと考えられ、

一匹狼であり、イソップのコウモリのようでした。】

遊郭のお茶屋は現在では中々難しいかもしれない。代案としては新宿三丁目辺りがオススメである。

自宅の周囲にはアンニュイな雰囲気のオネエサンと、強面だが義理と人情に厚いオニイチャンが必須アイテム。

人生で一番大事な事は彼らが身を持って教えてくれるだろう。

yukaku1.jpg

                         大阪九条松島遊郭  アサヒグラフ74.11

因みに

【金一姓は母方の名前で、淡路島に今も残っているようです。】

と、いうことです。

【小さい頃は何一つ不自由無く育てられましたが、父親が暴力的に怖かった事、

(中略)ヒロポン(今で言う覚せい剤)を打ちながらいつも麻雀をしていた事、その膝の上で自然に技量を身につけ、

爆撃で家が焼けてしまい、食べる物がなくなった時には賭け麻雀で稼げるようになっていました。】

ヒロポンは現在売っていないが、一昔前は近所の薬屋で売っていて、 新聞広告に出るほど、一般的な薬だった。

hiropon11.jpg

hiropon21.jpg

                                ヒロポン広告

知り合いの殺陣師は、徹夜の映画撮影時には欠かせない薬だと言っていた。

昼間、ヒロポンを買い込んでから撮影に臨んだらしい。

睡魔に襲われるとヒロポンを打ち、何でもない顔をしてバッサバッサと斬られていたそうだ。

今は完全に違法である。気持ちいいくらい、問答無用で御用である。

代案としては、すんごく高いユンケルなどいいだろう。効果のほどは保障しませんが。お父さん、頑張って。

以上の事を成し遂げれば、向こう見ずで情に厚い、いざとなれば(手段はともかく) 自力で稼げる子供に育ってくれるでしょう。

その子が現代の世の中で、生き易いかどうかは周囲の愛情に掛かっています。 踏ん張りどころです。

参考文献として、梁石日著・「血と骨」、阿佐田哲也著・「麻雀放浪記」をお勧めする。

話を先に進めよう。

【子供の頃の戦争体験で記憶に残っているものはB-29(アメリカの爆撃機)の焼夷弾が花火のように思えたり、

グラマン戦闘機の機銃掃射から逃げるのが何故か恐怖より鬼ごっこのように楽しかったり、

飛行機の横腹に女性の裸の絵が描かれ、それが妙に艶(なまめ)かしく目に焼き付いた事を、

今も鮮明に覚えています。恐怖より色気だったのでしょうか?

よく、舞台や映画で使われたりする昭和天皇の玉音放送も。大人というのはラヂオを聴きながら泣いたりうな垂れたり、

よく分からず変な感じがした事を覚えています。】

「金一2号」を創るためには、より正確にその人生を辿る必要がある。

とはいえ、戦争だけは体験させる訳にはいかない。 大人の責任として。

但し、戦争の功罪は語り伝える義務がある、と個人的には思っている。なので参考までに補足する。

B-29は太平洋戦争に於いて、日本で最もポピュラーな米軍機かも知れない。 B-29は始終日本の上空を飛び交っていた。

「モロトフのパン籠」と呼ばれる焼夷弾(しょういだん)を積んで。

焼夷弾はB-29から投下されると、空中で分解し、中から無数の小さな爆弾が出てくる。

その爆弾が広範囲に降り注ぐ。ザーッと、まるで雨のような音を響かせながら降り注いで来たらしい。

syoidan.jpg

東京大空襲の時など、その焼夷弾が無数に投下された。逃げ切れるものではない。

想像して欲しい。 空にはBー29が飛び回り、ひっきりなしに焼夷弾を投下している。

自分の周囲はどこもかしこも、爆弾だらけで火の海だ。  悪夢である。

「進撃の巨人」(著:諫山 創 講談社)という漫画をご存知だろうか? 当時の空気感は、この漫画に似ているかも知れない。

訳もわからないまま、圧倒的な力にねじ伏せられる恐怖と絶望。

私自身が戦争体験者ではないので、あくまでも個人的感想にすぎないが、参考になるかもしれない。

2011年8月現在、5巻まで出ているので、漫画喫茶あたりで如何?   話を元に戻そう。

当時の子供にも楽しみはあったろう。 子供は人生の喜びを見つける天才であるから、

B-29の機体に描かれた色鮮やかなペイントに心躍らせたに違いない。

日本の飛行機の横腹には、日の丸しか書いてなかったし。

b29-2.jpg

                           こんな感じ。

「玉音放送」 「たまおとほうそう」ではない。「ぎょくおんほうそう」である。誰でも一度は耳にした事のある言葉だろう。

社会の教科書にも出てくるはずだ。

「堪え難きを耐え、忍び難きを忍び・・・」の下りが特に有名である。これは、昭和天皇が自ら朗読し、レコード盤に録音された。

最初に録音されたものは、天皇自身がNGを出し、再度録音されたものが放送されたと言われている。

この放送がなされなければ、戦争は終わらない。

なので、当時このレコード盤は終戦に反対する軍部から狙われていた。

NHKの担当者は綿密な計画のもと、翌日の放送時間までこのレコードを死守した。

それほどに、「玉音放送」とは国家の一大事だったのである。

ちなみに「玉音放送」の原盤はアメリカ軍に渡されたが、行方不明になったと公表されていた。

しかし実は私的にこのレコードがコピーされていた事が判明。

現在、いろいろな所で耳にする玉音放送は、このコピーが原典となっている。  誰だが知らんが、ナイス!である。

gyokuon.jpg

                           玉音放送を聴いて泣き崩れる人々。

さて、戦争は終わった。次は、生き延びる為の手段が必要だ。

何よりも真っ先に手に入れるべきは、食料だった。  人間、食べなきゃ生きてゆけない。

【食料事情は極端に悪く、田舎へ米を買い出す為に連れられ、手袋の中に米を詰め、すし詰めの汽車に乗り、

駅で警官が来ると逃げ、魚を持ち帰るときお腹に巻いて持ち帰ったため、腹が冷えてしまい下痢をしてしまった事など、

辛さより心躍る出来事として記憶しています。(中略)

進駐軍(米軍)がくれたチョコレート(あれは多分ハーシー)のなんと甘かった事、

バナナを最初に食べた時「世の中にこんなに美味しいものがあるのか」と感じた事、

母ではなく父が作ってくれた牛筋を煮込んだカレーライスは最大のご馳走であり、この年になっても好物であり続けています。

他方、弁当のおかずはいつも塩鮭で鮭の味より、ただただ塩の味がした。

(今から考えると、そでも恵まれていた)その為か今もって好んで鮭を食べる事はありません。】

敗戦国が豊かなはずもなく、食べ物はどこも不足していた。どうやって食べ物を手に入れたかというと、

戦火を逃れた農家に行って、わずかに残った着物や家宝などと食べ物を交換してもらうのだ。

時代が変われば、物の価値も変わり権力の様相も変わる。

当時、食べ物を持っている物が権力も手中に収めた。

あるいは、悪知恵の働くものである。よく言えば目端(めはし)の利くヤツ。

焼け跡でどさくさに紛れて、勝手にロープを張り巡らし「俺の土地だから入ってくんな!」と言ったヤツがいるとかいないとか。

皆、生きる事に必死だったのだ。子供たちは、その無邪気さでアメリカ軍からお菓子をせしめた。

「ギブミー チョコレート!」 たった一言を武器に、ジープに群がりガムやチョコレートを手に入れた。たくましい!

この生きる力は、是非とも教え込んでおくべきだ。世の中何が起こるか分からない。

もう一つ、食べ物について。

幼い頃に覚えた味は一生つきまとう。贅沢をさせろと言っているのではない。

「家庭の味」を覚えさせろと言いたいのだ。

美味しくても不味くても、味覚に関してその人の一生を決定づけるのだから。

母親でも、父親でも、一生懸命つくってやればいい思い出になる。  毎日でなくていい、出来る範囲で。

【学校の前の大阪城のお堀には、年に何度か土左衛門(水死体)があがりました。俯いて揚がるのは男性、

上向いて揚がるのは女性。理由はオチンチンの有る、無し、とその時皆思っていました。】

話が突然飛躍しました。

だが、こういう罪の無い嘘はつくべきである。(この場合は嘘ではなく、全員が本気だが)

人の言葉に疑いを持つ事をこうやって教えていくのだ。大人だって色々ある、常に「真実の人」ではいられない。

あくまでも、罪の無い嘘であるべきだが。

うちの母親は江戸っ子で「ひだり」を「しだり」と言う。「左」のふりがなは「しだり」だと思っていた私は、

幼稚園で「ひだり」だと教えられ、 必死に母親に訴えたら、真顔で「だから、しだりよ! あってるじゃない。」と言われた。

親の言う事が、全て正しい訳じゃないと悟った4歳の頃である。

嘘とはちょっと違うが、今となってはいい思い出で、笑い話である。

【中学生になり、性の意識が目覚めるとともに家の仕事も嫌で、屈折した日々を送っていたように思います。

悶々とした日々のはけ口はスポーツとしての野球、博打としての麻雀や鬱憤を晴らすわるさに注がれていたのでしょうか。】

「わるさ」は大事である。多少の悪さは多いに経験しておくべきだ。 物事の善悪は身を以てしか覚えない。

十代は、屈折するものである。屈折してこその十代である。スルッと過ごしてしまっては勿体ない。

悶々としなくちゃいけない。異性を気にして当然だし、同性の目も当然気になる。

そのはけ口は、もちろん健全にスポーツもあり。勉強に打ち込むのもいい。

だけどオススメは「わるさ」である。

大人の「やってはいけない」は「やってみろ」の同義語である、くらいに思えよ十代!

但し、自分で責任は取る事。責任が取れない事はしない事。

これは十代に限った話ではない、大人だってそうである。

自分で取れる責任の範囲をきちんと把握すればいいのだ。

何をどうすれば、こうなって、ああなるのか、身を以て体験すべし。

興味の幅も、人間関係も、ここは思いっきり広げておく。

相手の家の経済状態や、家庭環境を勝手に邪推して、「あの子とは遊んじゃだめよ」とか 言ってはいけない。

そんな事言ってたら「金一2号」は創れない。

授業中は半分寝てて放課後パワー全開が、正しい「金一2号」である。

「成績ばかりが全てじゃない」と、ぐっとこらえて、のびのびやらせてみよう。

凶と出るか吉とでるかは、あなた次第。

【中学時代に上位だった学校の成績は高校に入って段々下がり始めました。

授業は苦痛で、楽しみは放課後のクラブ活動でした。新聞部、演劇部、山岳部、応援部、そして自治会。

(中略)季節によって渡り歩いてました。(中略)学校をサボっては便所の匂いのする映画館に潜り込んだりしていました。

当時もぎりの人の目をかすめて、タダで入る事の出来る所をいくつか知っていました。

新東宝、大映、松竹、日活、東映、東宝など邦画がほとんどで、二本立ての映画館が多く、(中略)

嵐寛寿郎の鞍馬天狗、長谷川一夫の銭形平次、片岡千恵蔵の多羅尾伴内、市川歌右衛門の旗本退屈男、

入江たか子の猫化け、それらは私の暗闇のヒーロー達でした。】

ヒーローも大事。 ヒーローは夢物語ではなく、理想像である。なりたい未来の自分の姿、それがヒーローだ。

誰かが「ウルトラマンになりたい」とか「プリキュアになりたい」とか「アイドルになりたい」とか

「ビル・ゲイツになりたい」とか言い出しても笑ってはいけない。 それはその人の理想像なのだ。

理想があるから、それに近づこうとして頑張る。 ヒーローは人生において、大切な必須アイテムである。

一つだけ説明を。

【入江たか子の猫化け】とあるが、これは原文ママである。

これは1953年公開の「怪談佐賀屋敷」で初めて化け猫を演じた入江たか子の演技が絶賛され、

以後何度も化け猫を演じ、「化け猫女優」と称された事だと思う。

彼女は良家の出で美人女優として活躍していたが、不幸が重なり女優としてどん底にある時に、

「怪談~」に出演し、再起を果たした。

化け猫がヒーローというのもどうかと思うが、それ以前は銀幕のヒロインとして、

押しも押されもせぬ女優であったから、憧れの人、としてのヒーローかもしれない。

因みに入江たか子は、原田知世主演の「時をかける少女」に出ているらしい。

知らんかった。何の役かは分からないが、今度観てみよう。

hasegawa-arashi.jpg

                    長谷川一夫               嵐寛寿郎

kataoka-irie.jpg

                     岡千恵蔵                入江たか子

さてこの後。 金一少年は人生で最初の転機を迎える事となる。

それはまた、次号で。

文責・濱中陽子/編集・岡野克己

2011/09/22 15:19:18